「好き」と「愛してる」
2007年7月29日コメント (2)こないだ久しぶりに翔くんに言われた。
「みっきー、愛してるよ。」
この言葉にどれほど胸がきゅんとなったか。
まだまだ恋してるなーと思う。
恋心は4年しか持たない、と誰かに聞いたけど、そんなわけはない。
だって、最初に胸が痛くなってからとっくに4年、たったもの。
人の心は移ろいやすいものだってわかってる。
今から10年後、同じ気持ちでいるかどうか、今みたいに愛し合っているかどうかなんてわからない。
でもたぶん、動物的に恋はしていなくて、今みたいにアドレナリンは出てないかも知れないけれど。
同じように愛しているんじゃないかと思う。
最近思うんだけど、恋ってすごく自分中心で、自分が幸せになることだけを考えるものだけど、愛って、相手を幸せにしたいと思うことだと思う。
だから、私は彼をずっと愛してるんじゃないかと思う。
お互いもし、誰かに恋して、心がそっちに向きそうになっても、押さえる術を知っているから。
もし、今後、誰かに「動物的な本能」で心動かされることがあったとしても、そんな「動物的な本能」で人を、愛する人を傷つけるなんて、人として恥ずかしいことだと知っているから。
母に昔きいたことがある。
「お母さん、もし会社で気になる人ができたらどうする?」って。
母は迷いなく
「会社、辞めるわ。そんなことで大事なものを失うぐらい馬鹿なことないでしょ。」
って。
翔くんはよくこんなことを言う。
「好きとか好きじゃないとか、恋愛対象かどうかってそんなに大事なこと?
俺には発情してるかしてないか、と同じに聞こえる。
そんなんに振り回されてるのってサルと一緒だよね。」
って。
私は翔くんを愛している。
好きなんだけど、それは重要じゃなくて、愛してる。
だから、もし他の人に恋をしそうだと思ったら、自分がサルになる前に、二度と会わないようにすると思う。
本気で恋したときの人のエネルギーを知っているから。
すっごく眠いとき、すっごくおなかすいたとき、人の本能ってすごく強い。
それにあがらうのってすごくつらい。
だからって、人の食べ物奪っていいわけじゃない。
人を傷つけていいわけじゃない。
こんなに私を大事にしてくれて、こんなに愛してくれる人を私、ずっと大事にしよう。
「みっきー、愛してるよ。」
この言葉にどれほど胸がきゅんとなったか。
まだまだ恋してるなーと思う。
恋心は4年しか持たない、と誰かに聞いたけど、そんなわけはない。
だって、最初に胸が痛くなってからとっくに4年、たったもの。
人の心は移ろいやすいものだってわかってる。
今から10年後、同じ気持ちでいるかどうか、今みたいに愛し合っているかどうかなんてわからない。
でもたぶん、動物的に恋はしていなくて、今みたいにアドレナリンは出てないかも知れないけれど。
同じように愛しているんじゃないかと思う。
最近思うんだけど、恋ってすごく自分中心で、自分が幸せになることだけを考えるものだけど、愛って、相手を幸せにしたいと思うことだと思う。
だから、私は彼をずっと愛してるんじゃないかと思う。
お互いもし、誰かに恋して、心がそっちに向きそうになっても、押さえる術を知っているから。
もし、今後、誰かに「動物的な本能」で心動かされることがあったとしても、そんな「動物的な本能」で人を、愛する人を傷つけるなんて、人として恥ずかしいことだと知っているから。
母に昔きいたことがある。
「お母さん、もし会社で気になる人ができたらどうする?」って。
母は迷いなく
「会社、辞めるわ。そんなことで大事なものを失うぐらい馬鹿なことないでしょ。」
って。
翔くんはよくこんなことを言う。
「好きとか好きじゃないとか、恋愛対象かどうかってそんなに大事なこと?
俺には発情してるかしてないか、と同じに聞こえる。
そんなんに振り回されてるのってサルと一緒だよね。」
って。
私は翔くんを愛している。
好きなんだけど、それは重要じゃなくて、愛してる。
だから、もし他の人に恋をしそうだと思ったら、自分がサルになる前に、二度と会わないようにすると思う。
本気で恋したときの人のエネルギーを知っているから。
すっごく眠いとき、すっごくおなかすいたとき、人の本能ってすごく強い。
それにあがらうのってすごくつらい。
だからって、人の食べ物奪っていいわけじゃない。
人を傷つけていいわけじゃない。
こんなに私を大事にしてくれて、こんなに愛してくれる人を私、ずっと大事にしよう。
コメント
ありがとうございます。
こちらも相互にさせていただきますね。
「素敵な恋愛」させてもらってます。
たまにしか書きませんが、これからもよろしくお願いします。